社会不適合の日常。

ブログに目を通して頂いた全ての方に感謝。

2021年3月11日

今日でちょうど10年ですね。

なんか色々な意味で今日が誕生日の人も祝いにくい日になってしまいました。

今も家族が見つからない方や普通の生活に戻れてない人、作業してる人など考えると色々思うのですが自分は何もできないので…励ましの言葉さえ嘘くさくなってしまうのではないかと少し書くのも考えたのですが…。

当時、自分は胃カメラを飲んだ直後でやっと終わって家についてお腹すいてたのですが微妙な時間だったのでお茶でも飲もうかとお湯を沸かしたところ。

二階に住んでたのですが窓から近所が見下ろせるくらい高い建物がない地域だったので地震の時にカーテンを開けて目に見えてわかるうねりに

「あ、(終わりが)きたか」

なんて思いました。嫁は近所のお店で仕事をしていたので直後お店へ顔を出して無事を確認して。

自分が住んでいた地域は親父が東京に来た頃には沼地だったらしく液状化も多かったです。舞浜や隣の新浦安ほどの被害ではありませんが、よく車で通る地域だったので色々被害も眼のあたりにしました。

今、千葉に住んでるのですが当時、この光景も沢山見てきて嫁さんから「引っ越したい」と言われたので東京から引っ越しました。

夫婦揃って仕事も直後に辞めて、自分も家業を辞めて色々と転機にもなった出来事でした。

だからこの時期にもなれば色々考える事もありますし、逆に何も考えても始まらないし。それで誰かが救われるわけでもなくて…。

人間ってどうしても自分の目で見てきたり感じてきたものでしか根から考えられないのかなって思ったり。例えば愚痴を言いたい人がいて、聞いてもらいたくて話をして。聞いた相手が「わかる」なんて共感をしてもそれは100%ではなくてほんの何%。結果は状況や感情や目に見えた景色など伝えも出来ないしわからないし。

それが普通だし、それを掘り下げて考える事ではないのかもしれませんが…震災後に生まれた子供らに伝えても1%でもわかったら「凄いな!」って思えるし、わかれって言う方が難しいと思います。自分が戦争を知らない世代で、それを表現する映画やドラマがあってなんとなく知るレベル。本当の恐怖は…イメージでしかわかりません。

当時の恐怖を忘れてはいけない…っていう人もいるのかもしれませんが…。その恐怖とかそのレベルは体感した人にしかわからなかったり。

それでも自分は楽しく生きるをモットーに生きてますが(苦笑)でも、それも色々踏まえて生きているつもりです。全員に「楽しく生きろ!」なんて言うつもりもありませんが…命あるなら馬鹿みたいに前向きなほうが人生を満喫してるのではないかなって思うだけです。

病人だろうが風邪ひいたことない身体だろうが若いとしても…心臓が止まる時はくるだろうから別にそこは平等で考えて自分に対してもいつ来てもあり得ない話ではないと思うからできる事をして楽しく生きたいと思ってます。

誰かのために…って考えても自分ができる事がたかが知れていることしかできないので葛藤も多いのですが…

実際被災されてる方々からしたら…何もならない言葉になってしまうのかもしれませんが…生きる今を誰にとっても素敵な一日になりますよう心から願います。精一杯一緒にいきましょう!